乾いた音、やわらかい匂い、はかない色合い・・・・・・。落ち葉は、詩となり、物語をつむぐ。
大学会館付近にて。(11月20日撮影)
 
 

 
 
キャンパスの四季 11月 vol.2   
 
落ち葉の頃
 

 11月に入ってからも、暖かい日が続いていましたが、このところさすがに寒くなりました。いよいよ冬の到来です。峰キャンパスの紅葉も少し盛りを過ぎたようです。図書館の前のイチョウはすっかり黄色くなりました。このところ毎朝黄色のじゅうたんを踏んでセンターに出勤しています。
 イチョウのすぐそば、図書館の北西の角に、宇都宮大学50周年の記念樹であるカイノキがあります。もう少し散りかけていますが、実に見事に紅葉しています。この木は、元来中国原産で、比較的新しく日本に移入されたものです。各地で見られるようになりましたが、一般的にはまだめずらしい樹種でしょう。漢字では「楷の木」と書きます。「楷書」ということばがありますが、姿がきちんとしていることから名づけられたと聞いています。中国で、孔子の墓に植えられていたことから、学問の木ということになり、そのために、各地の孔子廟に植えられました。最近では学校や図書館などに記念樹として植えられることが多いようです。峰キャンパスを訪れる機会がありましたら、センターに来る途中ですから、どこにあるか一度確認してみてください。
 今年は、暖冬気味で雨が多かったせいでしょうか、雑木の紅葉がひときわ鮮やかでした。ケヤキなども普段の年はくすんだ褐色にしかならないのに、今年はいつにないつややかさがあるように思います。この仲間では、旧講堂の裏に大きなアカシデの木があり、実に見事に紅葉していました。晴れた日、青空をバックにして黄橙色に染まった大枝はほれぼれするような美しさでした。でも、それもすでに散ってしまいました。自然の色どりは移ろいやすく長くとどまってくれません。これからは、カエデなどに名残の紅葉を楽しむことにしましょう。
 
 
 
 さて、今の季節になると、私がいつも思い出す詩があります。19世紀フランスの詩人ヴェルレーヌの『秋の歌』という詩です。上田敏の名訳で引用してみましょう。上田敏の訳では、タイトルが『落葉』になっています。「秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し。// 鐘のおとに/胸ふたぎ/色かへて/涙ぐむ/過ぎし日の/おもひでや。// げにわれは/うらぶれて/ここかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉かな。」「秋の日のヴィオロン(バイオリン)」というのは、木枯らしの音を表しているのでしょう。このデカダンの詩人は自分の身を木枯らしに吹き飛ばされる木の葉にたとえて嘆いたのです。
 また、ドイツの詩人リルケの『秋』という詩は、次のような詩句で始まります。「木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように/ 大空の遠い園生が枯れたように/ 木の葉は否定の身振りで落ちる」(富士川英郎訳)リルケの詩句には、どこか神の摂理とか宇宙の神秘とかを感じさせるところがあります。この最後の「木の葉が否定の身振りで落ちる」というところは、木の葉が落ちたくないのでいやいやをしながら落ちていく、という意味だという説明を聞いたことがあります。ひらひら舞う落ち葉にそのような意思が隠されているのでしょうか。
 樹木が次第に葉を落としていく情景は、何かもの寂しく、心細い感じを人に与えます。皆さんはアメリカの短編小説の名手O・ヘンリーの『最後の一葉』という作品をご存じでしょうか。物語の舞台は、ワシントン・スクエアの貧しい芸術家たちが集まっている一角です。若い画家の卵ジョンジーは肺炎にかかって部屋で寝ています。友人のスーが心配しながら彼女に付き添っています。病人は日に日に弱っていき、毎日、むこうの煉瓦の壁に絡まる蔦の葉が次々と落ちていく様を窓から眺めています。病人はその最後の一葉が落ちるとき自分も死ぬと信じていたのです。この後、物語がどう展開するか、ここには書きません。(ご存知の方も多いと思いますが、読んだことのない人もいると思いますので。)読んだことのない人はご自分で読んでみてください。貧しい人々の心の触れ合いと哀感が伝わってくる作品で、今の季節にふさわしい読書になると思います。翻訳も何種かありますが、短編なので、できれば英語の原文で読むことをお勧めします(O. Henry, The Last Leaf)。
(鯨井 佑士)
 
 
 
まさに「楷書」を思わせる端正な姿のカイノキ。今年の見頃は11月10日前後でした。
(11月14日撮影)
 
 
 

 
 
 
♪ 写真でつづる晩秋のキャンパス ♪
 
 
今年の峰キャンパスの紅葉は、例年になくじつに見事です。
WEB上で紅葉狩りを、ぜひお楽しみください!
 
 
 
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