季節のエッセイ 2010/05/19掲載

 

 
 
 平成22年度公開講座開催にあたって 
 
フランス・サッカー異聞
 
明暗を分けた「頭」と「手」
 
 
栃木学習センター所長
鯨井 佑士
 
 
 栃木学習センター主催の本年度第1回の公開講座は6月13日(日)に「サッカーからみたスポーツの魅力」と題して、宇都宮大学名誉教授の石崎先生を中心に三人の講師を招いて話をしていただきます。これにちなみ、わたしはフランスサッカーに関するエピソードについて書いてみます。
 
 
人種の壁を超えた勝利
 
 サッカーは自転車競走(トゥール・ド・フランス)とともにフランス人が最も熱狂するスポーツです。栄枯盛衰、残念ながら今はすっかり弱くなってしまったのですが、今から10年ほど前、フランスはブラジルなどとともに世界のサッカー王国の一つでした。最盛期は、1998年FIFAワールドカップ・フランス大会で優勝した時から2000年に欧州選手権で優勝した頃です。

 1998年にフランスがワールドカップで優勝した時は、そのメンバーの人種的多様性が話題となりました。かつて植民地大国であったせいもあり、長年の間多数の移民を受け入れてきた結果、現代のフランスは多人種・多文化の国になっています。それを象徴するのがこの時のフランスチームのメンバーでした。フランスチームはそのユニフォームの色から「ブルー」(Bleus)と呼ばれるのですが、メンバーはその肌の色から「ブラン、ブラック、ブール」(Blanc-Black-Beur)とも呼ばれました。「ブラン」は「白」を意味し、白人を指します。「ブラック」は黒人です。「ブール」はアラブ(イスラム)系の人を指します。1998年のフランス・ナショナルチームはこの三者が一体となって見事なチームワークを発揮していました。これにフランス国民が熱狂したのです。現実の社会においては、黒人やアラブ系に対する白人の側からする偏見は根強く、人種差別や文化対立は日常的な現象です。この時のフランスチームはそれを一瞬忘れさせてくれたのです。人種融和、国民統合の夢を垣間見させてくれたと言ってもよいでしょう。ブラジルとの間に戦われた決勝戦は時の大統領シラクも観戦し、フランスが優勝した後は熱狂したファンがパリの街を埋め尽くしました。
 
 
 
英雄ジダンの栄光と影
 
 この時のヒーローがチームのリーダーであったミッドフィールダーのジダン(ジネディーヌ・ジダーヌ)でした。彼は1972年マルセイユに生まれました。アルジェリア移民の二世です。旧仏領の植民地であった北アフリカのアルジェリア、モロッコ、チュニジアの三国は「マグレブ」と呼ばれますが、この三国からの移民はフランスの移民の中でも最も数が多く重要です。彼らはイスラム教徒であるため、キリスト教徒であるヨーロッパ系住民と文化的に対立しやすく、また差別の対象にもなりがちです。そのような中でジダンは国民的英雄でした。「ジズー」と愛称され、特に子供たちに人気がありました。

 ジダンはワールドカップ・フランス大会以後も大活躍をしました。所属チームはイタリアのユベントスからスペインのレアル・マドリードに移り、2002年UEFAチャンピオンズリーグでは優勝の立役者になり、国際的な名声も高まりました。ただし、2002年のワールドカップ・日韓大会では肉離れのため生彩を欠き、フランス代表もグループリーグで敗退してしまいました。でも、その後もレアル・マドリードでの活躍が認められ、FIFAの最優秀選手賞(3度目)を受賞しています。

 2004年、彼は体力の限界を理由にいったんフランス代表引退を表明しますが、翌年ドメネク監督らの説得を受けて代表に復帰します。そして、2006年、この大会を最後に現役を引退すると表明して参加したワールドカップ・ドイツ大会では、グループリーグで低調だったフランスチームを引っ張り、フランスチームを決勝戦にまで導きました。そして迎えたイタリアとの決勝戦で事件が起こります。同点のまま迎えた延長戦の後半直後、彼は突然相手選手に頭突きを食らわせます。この行為の結果、彼はレッドカードを受け、退場します。これが彼のサッカー人生の最後となりました。フランスチームは敗れ、準優勝に終わります。

 彼がなぜこのような行為をしたのか、当初はさまざまな憶測が飛び交いました。相手選手から人種差別的な侮辱を受けたとかも言われました。彼の立場を擁護する者も批判する者もあり、フランスでは一時社会問題にもなりました。しばらくしてからの彼自身の説明によれば、母親と姉を侮辱するひどい言葉を投げつけられたので、かっとしてやってしまったというのが真相のようです。もともと彼はヘディングが得意ではなかったと言われますが、1998年のフランス大会の決勝戦ではヘディングで2得点を挙げています。でも、ドイツ大会の決勝戦では相手を間違えました。

 彼は、普段は穏やかでむしろはにかみ屋の面があり、ピッチの外では温厚な紳士として知られていました。でも、時たまですが、試合中に興奮して自己を抑えられなくなることがあったようです。これに関してもいくつかのエピソードが伝えられています。いずれにせよ、FIFAの最優秀選手賞3回のほかバロンドール賞など多くの最優秀選手賞を総なめにしたジダンはサッカーの歴史に残る名選手であることは確かです。この事件の後も、引退した彼は、往年の名選手として尊敬を受け、国民的な人気を保っています。日本では、日清食品のテレビコマーシャルに出演していたことがありますから、それで覚えている方もおられるでしょう。 
 
 
 
「神の手」がもたらしたワールドカップへの切符

 さて、もう一人、現在のフランス代表である名選手アンリ(ティエリ・アンリ)にかかわるエピソードを紹介しましょう。これは比較的最近の事件です。アンリはフランス生まれですが、人種的には黒人です。彼はジダンよりも5歳年下です。早くからその才能が認められ、1998年のパリ大会には代表として参加していました。1998年から2007年までベンゲル監督率いるアーセナルで活躍し、プレミアリーグで4度の得点王に輝きました。現在はスペインのバルセロナに所属しています。

 さて、2010年ワールドカップ・南アフリカ大会の欧州予選のプレーオフでのことです。この予選でフランスチームは全く振るわず、大会に出場できるがどうかの瀬戸際に立っていました。その最後の試合、相手はアイルランドで、試合は決着がつかず延長戦に入っていました。ここでアンリがアシストしたボールをギャラスがゴールに入れました。問題は、この時ゴール前に出たボールがアンリの左手に当たったのです。普通ならば反則を取られるところですが、そのことを審判が気づかず、試合が続行され、ゴールとして認められてしまいました。

 当然、アイルランドは抗議しましたが、審判からは認められませんでした。アンリ自身は「決してわざとではないが、確かに手に当たった」と認めました。その後、再試合を求めてアイルランドの首相までが乗り出し、一時は国際問題にもなりかけましたが、FIFAの裁定は覆りませんでした。その結果、フランスは、からくも南アフリカ大会への切符を手に入れました。これについては、フランスでも、これはフェアではない、こんな形で大会に出場するのは潔くないとする意見もありました。でも、アンリはわざとやったのではないからこれでいいんだとか、サッカーには反則がつきものだとするシニックな意見もあり、いろいろでした。皆さんはどう考えるでしょうか。マスコミは、この事件で、アンリの左手のことを「神の手」と名付けてはやしました。アンリ自身はこのことについてずいぶん悩んだようです。あるいはまだ後遺症があるかも知れません。はたして今大会でフランスチームは活躍できるかどうかとわたしは思っています。

 さて、いよいよ6月11日からワールドカップの南アフリカ大会が始まります。先日日本代表のメンバーが決まりました。日本チームは決勝トーナメントに出場できるでしょうか。いずれにせよ楽しみですね。
 6月13日の公開講座では国際大会の審判を務めた方と栃木SC事務局長の方にも話をうかがいます。きっと興味深いお話が聞けるでしょう。皆さん、どうぞ誘い合わせてお出でください。  
 
 
 
 
※エッセイで紹介されている公開講座は終了しました