足尾の自然と鉱山跡の遺跡
 
  
鯨井 佑士(栃木学習センター所長)
 
 
◆社山南稜 
 私は長年山歩きを趣味にしております。桐生から足尾にかけて、いわゆる阿蘇山塊は私がとりわけ好きな山域です。最近は年のせいで、やや足が遠のいていますが、以前は集中的にこの地域を歩いている時期がありました。中でも、好きなのは日光中禅寺湖の南にある社山の南側の稜線を足尾の銅(あかがね)親水公園に向けて下るルートです。これは一般のハイキングコースではないので、道標も何もないところを、踏み跡をたどって下る必要があります。この稜線はまだ樹木が高く茂っていないので、きわめて見晴らしがよく、下の到達点(久蔵沢・松木沢合流点)を見降ろしながら、千メートル近くを言わば直滑降で下ります。下草の生える中、白樺林などを抜けて下るのはきわめて爽快です。また、ここは鳥獣の保護地域であるため、野生動物の王国です。特に、シカは至る所で姿を見かけます。人慣れしていたのか、以前は人間が近くに行ってもすぐには逃げませんでした。また、最近は数が減ってしまったようですが、以前はカモシカもたくさんいました。クマやサルもいます。
 二十年近くこの山域を歩いていて確認できたことは、徐々にですが、足尾の自然は確実に回復しつつあるということです。これは、今も続けられている国や県などによる足尾の山の植林・治山事業の成果です。周りの山を見回してみれば、赤茶けた禿山である部分もまだまだ多く残っていますが、全体としては随分回復してきました。亜硫酸ガスや酸性雨によって、足尾の山は樹木が枯れ、禿山となりました。木や草が育たなくなり、根が枯れると、山の土壌はぐずぐずになり、崩落してしまいます。このような状態を元に戻すのは容易なことではありません。明治時代から百年以上、植林などの修復事業は続けられてきましたが、1973年の閉山に至るまでは、これらの努力は焼け石に水のような状態であったと思われます。一見完全に元に戻ったように見える山でも、実際に歩いてみると、今なお、もろい部分があります。上述の社山の南稜も一番下の部分は今なおぐずぐずの斜面があり、私もそのような所に入りこんで立ち往生した経験があります。でも、稜線の上部は完全に蘇っています。樹木が茂ってやがて森林となるでしょう。自然の力は偉大です。いったん死んだと思われる山も、人が手を加えその努力をするならば、元に戻すことができるということを証明しています。
 
 
 
【写真】銅(あかがね)親水公園から周辺の山々を眺めて。 植林が進んでいるものの、赤茶けた禿山である部分もまだ多く残っていることが分かります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

◆廃墟の美学
 足尾銅山の遺跡は、精錬所や工場など、なお原形を留めているところもありますが、荒廃が激しく廃墟となりつつあります。しばらく前まで一部が残っていた愛宕下の社宅なども今は完全に取り払われてしまいました。功罪ともにありますが、足尾銅山は日本の近代化に重要な役割を果たした貴重な産業遺産です。世界遺産として登録しようという動きもあるようですが、地主の古河鉱業も自治体もこれを保存する意図はあまりないようです。足尾は、現在、過疎化が進み、人口が減る一方で、赤倉、間藤、通洞などの街区にはほとんど人影がありません。かつて、足尾は、学校、病院、警察署などを持つ鉱山都市で、最盛期には人口3万8千を数え、栃木県で宇都宮に次ぐ第2の都会でした。日本で一番最初に水力発電所が作られ、道路鉄橋が敷設されたのはここでした。明治のころ、他に先駆けて電話が設置されたり、鉄道馬車やガソリン機関車が街を走り回っていたと言われる町の面影も今は全くありません。
 私が足尾の町を訪れるようになったのは1990年代の初めです。この頃は銅山が閉山して既にだいぶたっていましたが、まだ今ほど人口が減っていなかったので、人々の生活もそれなりに保たれていました。町に飲食店などもあり、山を降りた後、一杯飲みながら、町の人の昔話を聞いたりしたものでした。それが、年とともに櫛の歯が抜けるように人が減り、今は完全に廃市となってしまいました。このような推移を知っているだけに、足尾を訪れる度に、私はいつも不思議な感情に襲われます。一緒の「郷愁」(ノスタルジー)と言ったらよいでしょうか。
 西欧では、古代ギリシャの遺跡やヨーロッパ各地に残る古代ローマの遺跡を訪れて、過去の文明の栄華を偲ぶという伝統が古くからありました。18世紀頃にはこれが一種の流行になり、実際に古代の遺跡を訪れるだけでなく、王侯貴族などは、自分の庭に、人造の遺跡を作らせたりもしました。また、廃墟を専門に描く画家も現れました。美術史上このような画家を「廃墟の画家」、このような嗜好を「廃墟の趣味」とか「廃墟の美学」と呼びます。19世紀になると、イギリスやドイツではこの傾向がロマン主義と結びついたことが知られています。
 足尾の廃墟はそれほど古いものではありません。「オンリー・イエスタディー」ですが、かつてそこで人々が蠢いていたという意味で郷愁を誘います。そういう目で崩れつつある精錬所などを眺めると、不思議な感動を覚えます。一種の美があると言ってもよいでしょう。
 労働者たちが行き交い、ガソリン機関車が走る街路、軍需産業のために銅の増産に狂奔する工場、軍隊の投入まで招いた労働者の暴動、そのようなことを思い浮かべながら、足尾の廃墟を訪れれば、旅の興趣はいっそう増すと思われます。研修旅行への皆様の積極的な参加をお待ちしております。
 
 
※H24年度学生研修旅行の受付は終了しました。
 
 

 
  
 
 
【写真】わたらせ渓谷鐡道の終着駅・間藤(まとう)駅と本山坑エリア(写真下)を結ぶ廃線跡。かつては輸送の大動脈として賑わっていたのでしょうが、現在はその面影は無く、辺りは静まりかえっていました。 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 【写真】本山坑エリアにある旧足尾精錬所。大空に向かって伸びる長い煙突が印象的です。今回の研修旅行では、車中や銅親水公園付近から大煙突を遠望する予定です。